今回は割と短くまとめてます

中目黒の駅前で毎日、コロナは茶番だ、メディアウイルスだと訴え続けている人がいる。「家に帰ったらマスクを外すんでしょう!?」「マスクしてる人とは仲良くなれないよね!!」内容はこんな感じで全くロジカルなものではなく、ふざけてやっているのかと二度見する。しかし、彼女はいたって真剣な眼差しで、マスクを外しホームまで聞こえるほどの大声を上げ続ける。

それを見て、面白おかしく笑い飛ばしたり、あるいは色々な考えの人がいるものだと受け入れることはできる。でもふと、果たして彼女は望んでこれをやっているのだろうか、そうでないとしたら、どんな出来事が彼女を陰謀論者へと変えてしまったのか、コロナ禍で変わってしまったのなら、皮肉なことに確かにメディアウイルスなのかもしれないなと、考え始めてしまうと、少し心が痛む。

コロナ禍で1年を過ごしてみて、自分の将来が自分の思い描いていた通りに進む保証なんてどこにもないと強く実感する。だからこそ今というひとときが輝いて見えるようになってくる。今に全力でありたいと思えるようになってくる。今を記録し、それを保存して振り返ることができる技術や、今という時が来るまでに起こりうる事象を先に予測する技術は素晴らしい発展である。しかしあくまでも、過去も未来も介在しない「今」を五感で体験し続けることで、未来が「今」になった時、ひときわ輝くのではないか。そうして一瞬一瞬を生きていったら、例えば、20年後はどうなっているだろうか。赤石さんみたいに、VOXYのCMのような父娘の関係が築けていたら最高だろう。