朝練終わり、中目黒駅に停車する東横線の車窓から、山手通りの拡張工事が行われているのが見えた。調べてみたら、二車線を三車線にして渋滞を解消することが目的らしい。
この山手通りは、これまでの僕の生活に深く関わってきた。親の車に乗って、どこに行くにも、だいたいこの道を使う必要があったから。この道は長い間、首都高速のトンネル建設の工事が行われていたので、通る度に、酷い渋滞に巻き込まれ、時間通りに目的地に着くために何度もハラハラさせられた。工事は15年ほど続いてようやく数年前に完了した。いつまでも終わる気配のなかった工事がついに終わったということ。それはこの場所で僕が確かに時間を過ごし、成長してきた証なのかもしれない。
そして、僕が車を運転できるようになった頃、この道の渋滞はほとんどなくなっていた。大きくなった僕は、運転以外にも色々なことを深く考えることもなく、すいすいとこなせるようになった。中目黒の拡張工事が終わる頃には、この道もすいすい流れる快適な道になっているのだろうか。
山手通りが混んでいて、なかなか前進できなかったあの頃。その時車中で何を考えていたかは覚えていない。小さかった僕は、一人で出来ることなんてほとんどなかった。でも、その分時間をかけて、さまざまな試行錯誤をしながら、難しいことにチャレンジしていたのだと思う。
渋滞も、今ではイライラするだけの意味のない時間でしかないけど、当時だったらその時間にも意味を見いだして、何かに繋げられていたのかもしれない。山手通りが渋滞することはもうないのかもしれないけれど、そのすいすいと流れる道で一歩立ち止まって、自分を見つめ直す。そんな時間も今度、作ってみたい。
たむら